ケイミ(仮名)
 「先生、私、自分自身がおかしくなっちゃったんです!」そう言って、泣きながら皮膚科を訪れた日から丸3年が過ぎようとしています。当時の私は、海外旅行先で数々のトラブルに見舞われ、心身共に疲れ果てて帰国。その直後に『帯状疱疹』という病気にかかりました。いつか治ると思っていましたが、日を追うごとに悪化したため、あわてて皮膚科へ。「すぐ入院して下さい」と先生に言われるまで、この病気が死に至るものだとは知りませんでした。あまりの激痛に眠ることもままならない日々が続く中、とにかく治りたい一心で治療を続けました。疱疹は私の体を半周したところでおさまり、ほっとしました。しかし、それからはもっと大きな病気に立ち向かわなければなりませんでした。

 疱疹の薬をやめたその夜、突然体中に倦怠感・虚脱感・絶望感・恐怖感…今ままで経験したことのない感覚が一度に襲ってきました。言葉では到底言い尽くせない症状に狼狽し、再度皮膚科の扉を叩きました。

 先生からは処方した薬のなかに「うつ併発」という副作用があるものが入っていたことを告げられ、すぐ精神科に移動しました。先生に自分の症状を一生懸命話しましたが、真剣に向き合ってはくれませんでした。

 それらの症状を抱えたまま、毎日仕事をこなさなければなりません。いつもどおりに家を出たその時です。車や工場の騒音、行き交う人が一瞬にして恐怖の対象となりました。なんとか振り切って前に進もうとしましたが、進めば進むほど状態は悪くなってきました。それが頂点に達したとき、動悸・息切れがおこり、体中が震え、視界も狭くなりました。『このままでは、私、死んでしまう…』そう思うほどでした。

 このような発作は時と場所を選ばず私に襲いかかり、風邪や腎臓結石なども併発していたため、症状はさらに悪化していきました。結局外にも出られなくなり、外界からシャットアウトされた状態になりました。発作と同時に襲いくる孤独感にも耐えねばなりません。周囲の無責任な言葉にも傷つけられ、焦りがつのります。現在の自分の状態を知り、何とかこの状態から抜け出したくて、図書館へ通い続けました。自分に近い症状の本を見付けては、藁にもすがる思いで紹介されている病院へ通っていました。

 その中でK先生が書かれた本に出会ったのです。その本に書かれている症状はまさしく私と同じ。最後の頼みの綱として、K先生の診察を受けることを決心しました。

 赤坂の病院に向かうために、私は大きな壁を越えなくてはいけませんでした。それは電車に乗ること。病院へ行くには地下鉄にも乗らなければならず、私にとって最もつらい道のりです。

 最初はホームに座り続ける事から始めました。それでも、電車到着のアナウンスだけで心臓が破れそうになります。過去の自分を思い出すたびに、今の自分に対して呪い、恨み、悲しみ…さまざまな思いがわきあがります。大勢の人の前で歌ったり、司会をしていた私がどうしてこうなってしまったのか…。そんな気持ちを抱えながらも、毎日ホームに座り続けました。

 そしてある日、電車の扉が閉まる瞬間に飛び乗ることができたのです。まるでビルから飛び降りるかのような覚悟でした。車内で、勇気を振り絞ってそっと目を開け周りを見渡すと、そこには以前の私が体験していた懐かしい空間が広がっていました。私の目から涙が溢れ、止まりませんでした。私は大事な一歩を踏み出せたのです。

 その後もホームでの訓練は続けました。電車に乗れないこともあったけれど、焦らずゆっくりと、を心がけました。「どんなに頑張っても駄目じゃないか!」と何度も落ち込みましたが、今やっていることは無駄ではない、今の自分はそんな昨日の自分の訓練や悔しさの上に積み重ねられたもの。突き落とされても、その分だけ大きくなれている…と信じました。

 赤坂CLに通うようになってから、みるみる症状は良くなっていきました。しかしこの病気は頑固で、うまく付き合っていく事は容易ではありませんでした。調子が良い日というのは、なかなかあリませんでしたが、ほんの少しでもそんな時間があったなら、一つでも多くの「幸せや感謝できる事」を掴んでやろうと思いました。死にも等しい発作が起きるたび「もうやれるだけのことはやりました。今が私の召されるときならば、どうぞ連れていって下さい」と願いました。すると、苦しかった発作がほんの少し和らいでいることに気がつきました。

 そしてK先生に処方して項いた薬も手伝ってか、いろいろやってみようという意欲も湧いてきました。そんなある日、思い切って夜の鎌倉へ海を見にいきました。潮の香りに包まれながら『私、今、海にいるんだ』そう思った途端、涙が溢れて止まりませんでした。あの地獄のような日々を考えると、こんな時がくるとは思えなかったからです。海水に足を浸したとき、幸せな気持ちと感謝の気持ちで胸が一杯でした。昔の私なら何とも思わなかったこと、見えなかったことが、今の私には見える、幸せだと感じられる…。これは決してお金では買えないもの、私はそう確信しました。

 それからも「死んでしまいたい」とさえ思った辛い時期が何度もありました。上手く行かないときもあります。そんな時は、苦しいこと・辛いことをノートに吐き出し、「幸せ探し」をしながら一歩ずつ歩いていきました。

 お金では買えないもの、かけがえの無いものがもう一つあります。それは痛みがわかる「心友」の存在。打算も距離もなく、喧嘩さえできる存在なのです。この歳になってからそういう大切な存在が得られたことは奇跡に近いことだと思うのです。赤坂CL主催のクリスマスコンサートを通じて心強い同士達と巡り合うことができました。

 私は音楽活動や同士達に支えられて、「独りではないんだ」という気持ちになり、困難も乗り越えられました。そして、私たちと同じように訳もわからず苦しんでいる全国の仲間のために、CD音楽制作を行いました。そして出来上がったのが「POCO A POCO」(ゆっくりと)。これはPDという病を発病した人々が自分を癒し、励まし、救ってくれた音楽を集めたものです。

 全てPD患者の手によるCD制作は、順風満帆だったわけではありません。発作を起こしながらの人や、入院中に一時退院してスタジオに入り録音した人、本当にいろいろなことがありました。でも、みんな心は一つでした、同じように苦しんでいるみんなに対し「決して独りじゃないよ、このCDにより、少しでも癒され安らぎを感じることができれば」と切に祈りながら作り上げました。

 まだまだ認知度が低いこの病は、気のせいだと片付けられて適切な治療が遅れたり、心ない言葉に傷つくことも多いのが現状だと思います。私自身、自分は強いと思っていたので、こんな病にかかってしまったなんて今でも信じられず、周囲も未だ訳が分からず受け入れられないようです。しかし、この病はいつ、誰が、どんな状況で発病するのかわからない病気なのです。

 昨年の12月に、TV局がクリスマスコンサートについての特集を組んでくれました。その反響は大きく、その番組を偶然見ていた書店の社長さんが、深く興味を示してくださり、本を出版するお話も項きました。私たちはこういった活動を通し、一日も早く偏見が無くなることを望んでいます。また、医療に携わる方々にこの病が浸透し、適切な治療がなされることが大切です。不理解からおきる心無い言葉に傷つき苦しみ、悔しい思いをせずにすむよう、できる限りの力をもって活動していきたいと思います。失ったものは多いけど、その代わり手に入れられた、かけがえのないものもあります。自分自身が壊れてしまわないように、そういう心の財産を大切に持って、これからも歩んでいきたいと思っています。
ケ セラ セラ<こころの季刊誌> VOL.24 2001 SPRING