〜安全弁をはずす〜
 バブルの崩壊から阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、そして最近の十七歳の連続する残虐な犯罪と、残念なことに、「世界は危険に満ちている」ことが実感される時代になってきました。それに呼応して、「安全」への願いが止まることなく募ります。自分と家族の安全、それは身体的なものはもちろん、精神的にも、経済的にも十分に保障される必要があります。

 「危険」を自覚することは不安をもたらします。ですから、安心したければ、「危険」に直面しないように慎重に行動するしかありません。「危険」を回避することが至上命令になります。

 パニック障害に限らず、およそ不安に関連する「心のつぶやき(認知)」は「危険」をテーマにしています。

 パニック発作に苦しむ人は、通勤電車に乗ることができません。コンビニエンス・ストアで並んで待つことを考えると、気が遠くなりそうです。助けを求めようのない高速道路は延々と続く地獄です。ですから、電車に乗らないこと、レジで並ばなくてもすむ時間帯を選ぶこと、一般道路の不便を我慢することが必要に思えてきます。

 「回避」という安全弁が常態化します。極端な場合、家を一歩も出ることができないまま、毎日が過ぎていきます。安全は保障されたものの、その人の「生活の質」は回復しない、ままになります。

 安全弁がどのくらい緻密に設定されているか、デパートで買い物ができない暁子という女性に登場してもらいましょう。

 もちろん最初の安全弁は、デパートに行かずにすませることです。デパートに行かなければ、パニック発作に見舞われることもないからです。「第一の回避」です。

 そして、どうしても行く必要に迫られたとき、暁子は仕方なく人ごみの少ない時間に出かけるでしょう。ところが、そのとき、発作の最初の兆候が彼女を襲います。突然のめまいに彼女は必死にその場を離れようとします。人ごみから遠ざかることができれば、少しは楽になるはずです。「第二の回避」です。

 しかし、もっと厄介な安全弁があるのです。逃走することも不可能なとき、暁子は手近にあるものにつかまって、最悪の事態を避けようとします。ごく自然に行われる、彼女も自覚していないような行動です。「第三の回避」、もっとも微妙な回避です。

 パニック障害の認知療法は、「回避」という安全弁をはずしてみることを提案します。

 めまいを自覚したとき、暁子には「倒れてしまうかもしれない」「そのまま死んでしまうかもしれない」という「心のつぶやき(認知)」が見られます。そのために、彼女は不安にもなり、「倒れないようにしよう」と、何かしっかりしたもので身体を支えようとします。彼女の安全はこれで確保されたことになります。

 しかし、その一方で、彼女の「心のつぶやき」は検討されないまま残ります。短期的には安全が保障されたとしても、長期的にはいつまでも不安に悩まされることになるのです。

 それでは、「心のつぶやき」を検討するにはどうすればいいのでしょうか?

 実験をすることです。リスクを有する行動を試みるのです。

 暁子はめまいを感じたときに、何かにつかまるのをやめて、本当に倒れてしまうのか、本当にそのまま死んでしまうのか、自分で確かめてみる必要があります。

 この実験が容易でないのはもちろん理解できます。しかし、不安と、その背後にある「心のつぶやき」の呪縛から解放されるには、たとえ一分間でもいいから、何かにつかまらずに、「心のつぶやき」に誤りがあるかどうか、検討してみることです。

 実験の結果はそのつど記録してください。「今にも倒れそうだ」と思ったとき、何分間、物に寄りかからずにいられたか、その結果、倒れてしまったのかどうかを、用紙に書きとめるのです。「倒れるかもしれない」「そのまま死んでしまうかもしれない」という暁子の心のつぶやきは、少しずつ修正されていくことでしょう。

 できあがった実験の記録は、あなたが危険に挑戦しながら得たものですから、他のどんな人の激励よりもあなたを納得させてくれるはずです。「安全弁をはずす」という実験が、回避のために制限されていたあなたの行動範囲を拡大させ、あなたの「生活の質」の回復に役立つはずです。

 認知療法に関連した情報は、「日本認知療法学会」のホームページから得ることができます。ぜひ一度お訪ねください。

URL http://jact.umin.jp/
鳴門教育大学人間形成基礎講座教授 井上 和臣
ケ セラ セラ<こころの季刊誌> Vol.21 2000 SUMMER